辺境の片田舎より愛を込めて

田んぼと墓場でどのようにナビしろと言うのだろうか。

花見酒禁止令敢行につき

 いよいよサクラ前線が我らの故郷にも差し掛かり、町内至るところで満開のソメイヨシノヤマザクラを目にするようになった。それはもう、神社の境内や河川敷ではもちろんのこと、ショッピングモールや各学校敷地内では大量に植えられた木々が我こそが一番と言わんがごとく、まさに咲き乱れた光景があちこちで見られることとなった。なにやら年々増えているかのように感じる今日この頃である。

 サクラだけに。

 

 聞けば花見の歴史はその昔、平安の頃にはすでにあったとか。当初は遣唐使の影響もあってか桜よりも梅の方が人気があったようだが、流行というのはかくあるものか。現在では9:1で桜の圧勝だろうと思える。

 

 

 その業界、ニッポン列島の社会人の嗜みとは勤め先との円滑な人間関係を育み日々の業務の効率化を図ることと聞く。

 そのためには日々気配り心配りを忘れず、時にはティッシュも配り、冬に忘年会あらば行って宴会芸を披露し上席を楽しませてやり、新春に新年会あらば行って後輩を褒め称えその離職率を防止し、日照りの夏は外回りで数字を追い、寒暖激しい秋には追い込み、みんなにデクノボーと呼ばれいつもニコニコ笑っている。

 

 一見なんでもない様に見えるがその内情の過酷さはこれまで温室育ちの観葉植物、つまり新社会人を早々に廃し、世界でも類を見ない戦後復興国として30代前半までの死因第一位をある「特攻」へと至らしめた。

 まさにいま、私の前に立ちふさがる一つの障壁として現れたのが、大日本サクラ花見と称した社内交流会、イベントが一つ「強制参加飲み会」である。

 

 どういうわけか2、3日前に本イベント発生という社会人のスケジュール管理体制の素晴らしさを思わせるスライディングに審判である私も思わず苦笑い。今月業績の社内査定を控えている身としては心身ともに衰弱していた模様で、遠くから聞こえる「強制参加(他は自由参加)」の号令を聞いていないフリをしていた。

 当然である。

 仕事の出来ない私には達成の文字が未だ遠く、社内交流している暇があるぐらいなら業務に関係ない謎の運動でもして日々の混乱を解きたいところだった。しかしそれは許されない。なぜなら私は社内最年少。後輩社員はたくさんいるが、社会人一年生のような空気読めない立ち振る舞いを私がする訳にはいかない。それが日本のルールというものだ。

 

 しかしどうして日本人は花見と称してサクラなど見向きもしないのか。花より団子といいながら団子どころかアルコールで脳みそ溶ろかそうというのだから驚きだ。

 大いに毛根に不安がある先輩は私の名を呼んだ。

「当然来るよな?」

 

 「当然」笑顔で応えた私には、どういうことか。そこから次の日の朝までにどうやってiphoneの液晶が無くなるまで大破し、スーツは地面を転がったようにただただ汚れ、家の玄関前には赤ワインを薄めたような鮮やかな赤色の吐瀉広場を作り上げたのか、まったくもって覚えていないのである。

 タイトルへ戻る。